◇事務所開所日変更のお知らせ

◇事務所開所日変更のお知らせ

2024年4月から5月中旬にかけて、
事務員の都合により事務所の開所日が変更になります。

4月の開所日は、
 3日(水)、 4日(木)、
10日(水)、11日(木)、
16日(火)、17日(水)、
24日(水)、25日(木)です。

5月の開所日は追ってお知らせします。
ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願い致します。

◆オコスタで会員交流会(令和6年3月17日)

◆オコスタで会員交流会(令和6年3月17日)

3月17日日曜日10時半から、広島駅の近くにある「お好み焼きスタジオOKOSTA(オコスタ)」で会員交流会を開催しました。当日は、外国人17名(ミャンマー3名、スリランカ2名、ベトナム2名、中国2名、ポーランド1名、カンボジア3名、メキシコ3名、アメリカ1名)を含む総勢38名が参加しました。

4つのテーブルに約10人ずつで分かれ、スタッフに教えてもらいながらお好み焼き作りに挑戦。鉄板には強火の場所と中火の場所があり、使い分けながら焼いていきます。好きなトッピングを4種類の中から選びました。ひっくり返すコツも習って上手くいったら、お互い称え合って大盛り上がり。自分で作ったお好み焼きは「格別に美味しい!」。近くに座った人とおしゃべりをしながら楽しいひと時を過ごしました。

最後にマイクを順番に回し、国と名前とその日の感想を伝え合いました。ほとんどの人が「お好み焼きを自分で焼く」のは初めての体験で大満足の様子でした。全員で記念撮影をしてお昼の12時に終了。今回は食事が中心の交流会で「広島」を感じる素敵な会となりました。さらに仲良くなるゲームも少し準備していましたが、時間が足りず次の機会に持ち越しです。これからも楽しく国際交流を推進していきたいと思います。

 

放課後子供教室「国際交流教室」(令和5年11月~令和6年2月)

放課後子供教室「国際交流教室」(令和5年11月~令和6年2月)

当協会会員でスリランカ出身のニルカさんご一家が、府中町教育委員会社会教育課が主催する放課後子供教室推進事業における「国際交流教室」の講師を務められました。11月~2月までの水曜の放課後、町内5校の小学校を回り、各校でおよそ1時間、十数人の児童に自国スリランカについての授業をしてくださいました。プロジェクターを使ってさまざまな写真を見せてもらい、スリランカの紹介をしてもらいました。

子供たちは日本とは大きく異なる気候や文化、食物、生息する野生動物に興味津々で熱心に聞き入っていました。スリランカはセイロンティーで有名でスリランカ原産の茶葉がキリン午後の紅茶に使用されているそうです。スリランカで最も多くの人が使用している言語シンハラ語であいさつも教わりました。
授業の最後にニルカさんから「世の中にはいろいろな人がいます。国、言語、考え方、肌の色など、みんな違ってみんないい!世界は一つの社会です。互いに理解する努力や心が大切です。」という重要なメッセージを頂きました。私たちも様々な国の人たちとお互いを尊重して生活していきたいものです。

帰り際には、習ったばかりのシンハラ語で「ボホマストゥーティー(ありがとう)」「ネワタハムウェム(さようなら)」とあいさつをして今回の国際交流教室は終了しました。

◇外国人ゲストによる講演会(令和6年3月3日(日)13:30-15:00)

◇外国人ゲストによる講演会(令和6年3月3日(日)13:30-15:00)

府中町国際交流協会は、3月3日くすのきプラザに於いてガーナ共和国出身のパメラ・アフィ・テティーさん(Ms. Pamela Afi Tettey、広島大学大学院生)をゲストに迎え「外国人ゲストによる講演会」を実施しました。会員、非会員合わせ20名にご参加頂きました。

講演者のテティーさんは、現在、文部科学省奨学生として広島大学大学院・統合生命科学研究科に在籍、博士号を取得すべく生物資源プログラムにて研究中です。講演では「Let’s learn about Ghana」のタイトルが示す通り、出身国のガーナについて地理、国の概要に始まり、独立前後の歴史、宗教、民族構成、文化等々幅広く紹介して頂きました。アフリカ大陸には3,000以上の部族とそれに準ずる数の言語が存在すると言われますが、ガーナにはアカン系を始め8以上の部族により250を超える言語が話されており、テティーさんはガーナを含む西アフリカ地域で主流と言われるエウェ(Ewe)系に属するそうです。ガーナもアフリカの他の国々と同様、欧州列強の植民地となり奴隷貿易の拠点の一つとなる等の歴史を経て1957年に独立、共和制・大統領制を敷いています。国旗には独立闘争で流された血を表す「赤」、豊かな鉱物資源の「黄」、森林等豊かな自然の「緑」の三色の帯の中央に、アフリカの自由の道標となる「黒い星」が配されているとの説明がありました。いろいろな話の中でユニークな印象を与えたのが、ガーナでは人の名前から生まれた曜日が分かるという話でした。テティーさんがミドルネームとしている「Afi」は金曜日に生まれた女の子に付けられる名前で、男の子は「Kofi」だそうです。因みに国際的に知られるコフィ・アナン第7代国連事務総長もガーナ出身ですが、その名前から彼が金曜日に生まれたことが分かりますね。

更に、ガーナの代表的な食べ物から人々の暮らし、その一例として結婚式の様子なども紹介されました。公平性を尊び、親戚を一人残らず招待するので大人数になると言われる結婚式では、皆が大好きなダンスも踊ります。テティーさん自ら実演してみせてくれ、参加者の一人もエウェ系の人たちが躍るダンスにトライし、会場は大いに盛り上がりました。テティーさんの明るく陽気な人柄も相まって、終始楽しい講演となりました。最後の質疑応答では、参加者から多くの質問やコメントが寄せられました。

「ガーナ」という言葉を聞いたとき、日本人の私たちの多くはチョコレートやその原料であるカカオ豆の産地としてのガーナ国を連想するのではないでしょうか。確かにガーナは依然として世界有数のカカオ豆の産地ですが、今回のテティーさんの講演を通じて、ガーナという国を具体的に知ることが出来ました。アフリカ大陸の西部にあり、大西洋に面し、植民地や奴隷貿易という暗い経験を経て独立を果たし、多様な民族が共存する民主的国家、カカオ豆の他、金を特産品とし、近年では原油も重要な輸出品である国、ヤム、キャッサバ、プランテーションバナナ、トウモロコシ、米等主食が豊富で農・海産物にも恵まれ食生活が豊かな国といったように。また、日本との繋がりについて、テティーさんはガーナ大学にある野口記念医学研究所(野口英世博士はガーナで客死)について触れていました。
最後にテティーさんは、広島大学大学院では水生昆虫の飼料資源としての有効活用についての研究を進め、ガーナ帰国後は水産資源分野で活用したいと抱負を述べていました。テティーさん、大変有意義な講演を有難うございました。テティーさんの留学の成果や今後のご活躍に期待しています。

外国人とのスポーツ交流会(令和6年2月17日)

◆外国人とのスポーツ交流会(令和6年2月17日)

2月17日土曜日11時から、広島パークレーンにてボーリング大会を開催しました。
当日は、外国人3名(ミャンマー2名、中国1名)を含む総勢16名の参加者で実施しました。
チームは外国人と日本人との混成で合計6チームにて各自2ゲームを楽しみました。

ボーリングが初めての方、また久しぶりの方もおり、なかなか調子が出ない中でも、
ストライクが出るとハイタッチで祝福し合い、楽しい歓声が会場にあふれていました。
ゲーム終了後は、会場内のレストランでランチをしながら、ゲームの感想などで談笑し交流を深め、
表彰式を経て13時過ぎに閉会となりました。

今回は、コロナ禍による中断を経て5年振りの大会となりましたが、前回(28名)の参加者を下回る少し寂しい交流会になりました。次回に向けて参加者を増やしていけるように改善をして いければと思います。

 

 

 

 

 

国内視察研修(令和5年11月26日)

新型コロナの影響で中止されていた国内視察研修ですが、4年ぶりに行うこととなり、バス1台9ヶ国44名でとびしま海道巡りの旅へと向かいました。呉市街地を抜け、安芸灘大橋からの晴れ渡る空と輝く海の美しさに大歓声の中、蒲刈大橋を渡り最初に上蒲刈島の『であいの館』に立ち寄りました。最初の休憩と買い物を楽しむと共に、景色の美しさに皆感動して写真を撮っていました。
次に豊島大橋、豊浜大橋を渡りお楽しみのみかん狩りに向かいました。車中では無人島に名前を付けたり、瀬戸の多島美を楽しみました。『大亀観光農園』に着くとまず説明を聞いて袋とハサミをもらいみかん食べ放題のスタート。皆美味しいみかんを求めて「あれが甘かった」「あれは酸っぱかった」と言いながらあっちのみかん、こっちのみかんと食べまくっていました。その上、お得な1Kg330円の持ち帰り分もしっかり取ってバスのトランクルームはみかんでいっぱいになりました。
その後、上蒲刈島に戻り『かつら亭』での昼食。皆みかんでお腹いっぱいにもかかわらず、美味しい海の幸尽くしの料理を堪能していました。食事の後、外に出て店の前の海岸で子供達(大人も)は石投げを楽しんでいました。満腹で睡魔に襲われながらも眠る間もなく次の観光地『松濤園』に到着、朝鮮通信使の展示鑑賞と建物や庭を見学しました。庭の先の海が美しく感動的でした。向かいの土産物店『海駅三之関』では揚げたてのじゃこ天を食べたりお土産に買ったりと当日特別のハモ入りじゃこ天に感動していました。
帰路のバスの中では恒例のビンゴゲームを行い、立て続けにスタッフに当たってしまいましたが和やかな雰囲気で大いに盛り上がりました。最後に全員に参加賞としてみかんが配られました。絶好の晴天のもと、怪我も事故もなく無事に帰ることができ、また次回もぜひ参加したいとの声を聞けた事に感謝しています。

英語でハロウィン! (令和5年10月21日)

英語でハロウィン! (令和5年10月21日)

令和5年10月21日くすのきプラザ小アリーナにて、小学生を対象とした「英語でハロウィン!」を開催しました。
参加者17名+参加者の兄弟数名で大変賑やかに盛り上がりました。国際交流協会スタッフの田中裕美、田中直実がウォーミングアップを担当しました。みんなでHokey Pokeyの歌を元気よく歌ったあとは、ニュージーランド出身の外国人講師、ザンダー先生にユーモア溢れる英語の授業を約50分していただきました。ハロウィンキャラクターのパンプキンの顔を使って,楽しい、悲しいなどのフィーリングを英語で表現したり、アルファベット、数字、色などについてゲームを交えながら楽しく英語を学びました。
また、ミュージシャンのザンダー先生の、英語の音をだしてみよう!との提案に、こどもたちはそれぞれ好きな音を出して全員でひとつの曲を作りました。このボイスパーカッションのような一風変わった発音練習に、みんな興味深々で楽しく参加していました。レッスンの後には、ハロウィン工作として、紙コップを使ってbat(コウモリ)のミニバスケットを作りました。黒い紙コップに目、耳、口、羽などを貼り付けていきオリジナルのかわいいバスケットができあがりました。
最後はお楽しみのトリック・オア・トリートです。全員で「トリック・オア・トリート!(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!)」と元気よく言って、仮装した国際交流協会のスタッフからお菓子をもらいました。お菓子がたくさんもらえて、子供たちは大喜びでした。今年も、こどもたちから参加して楽しかったとの声をたくさんいただき、私たちもこどもたちからたくさんパワーをいただきました。ザンダー先生のレッスンや、仮装やトリック・オア・トリートを通して、子供たちが英語をはじめ異文化に興味を持ったり、理解したりする良い機会になれたら嬉しいです。

日本語教室生徒による外国人日本語スピーチ発表会

日本語教室生徒による外国人日本語スピーチ発表会(令和5年9月3日)

定例化されてから早くも第3回目となる外国人日本語スピーチ発表会を、今年も無事開催することができました。現在の日本語教室の生徒は、社会人だけでなく、小学生や高校生もいて、日本語のレベルもまちまちです。しかし、日頃の勉強の甲斐もあって、今年発表された内容は、昨年以上に素晴らしいという評価をいただき、日本語の会話レベルだけでなく、作成された文章レベルが年々上がっていると感じています。今年は、スリランカ、韓国、中国、ミャンマー、カンボジア国籍の9名の方に日本語でスピーチいただきました。アンケート結果からは、発表に対する絶賛コメントばかりで、今年も評価が高かったのですが、課題として一般の参観者が少ない(参観者31名の内訳は、先生6名、役員10名、会員6名、一般3名、家族6名)ため、参観者が増える方法について考えてほしい。・・・というコメントもいただきました。来年に向けての課題とします。

外国人ゲストによる講演会2回目 (令和 5年 3月 5日)

◆外国人ゲストによる講演会2回目 (令和5年3月5日)

府中町国際交流協会は、3月5日、本年度第二回目となる「外国人ゲストによる講演会」をくすのきプラザに於いて実施し、24名の会員、一般参加者に御来場頂きました。(実施にあたっては、新型コロナウィルス感染状況を踏まえた府中町のコロナ対策に準じる形で、感染拡大防止のための措置を取りました。)今回のゲスト、エリック・パイル氏は米国カンザス州のご出身です。「From Small Town Kansas to Japan(カンザスの小さな町から日本へ)」というタイトルが示すように青年期まで過ごされたハッチンソンという町の様子や日本に来られることになった経緯を中心にお話し頂きました。米国のほぼど真ん中に位置するカンザス州ですが、19世紀後半、アーカンソー川沿いに主要鉄道の駅を建設する目的で同州北東部に作られたハッチンソンは、1950年代時点で人口3万人を僅かに超える程度の典型的な米国の地方の小さな町でした。「シンプルで、安全で、罪のない町。美術館やオーケストラ等文化的要素は何もない。学校の質は高くないが、問題児はおらずいじめもない、子供たちは暴力や変質者に怯えることなく裸足で町中を何の屈託もなく走り回っていた。」とパイル氏は回顧します。そんなハッチンソンにも二つの文化・教育拠点がありました。一つは、米国鉄鋼王で慈善活動家としても知られるアンドリュー・カーネギー氏から寄贈された図書館であり、もう一つはハッチンソンで見つかった岩塩坑から製塩業で財を成したケリー一族の一人、パット・ケリー女史が設立した Cosmosphere(宇宙科学博物館)でした。パイル氏が美術書を通じてフランスやイタリアの古今の優れた美術作品を知り、更に初めて北斎や広重による日本の浮世絵を目にしたのもカーネギー図書館に於いてでした。宇宙ロケットには関心のなかったパイル氏でしたが、宇宙科学博物館が彼に提供してくれたのは学芸員として働く経済機会でした。これらの経験が美術専攻を志すパイル氏の世界観に影響を与え、外の世界に目を向け、シカゴ、ニューヨーク、ロンドンといった大きな世界に飛び出すための手助けをしてくれたようです。大学・大学院で美術、哲学、宗教等を専攻し、ニューヨークのメトロポリタン美術館や著名な画商に勤務したパイル氏は、世界一流の芸術作品を間近で見ることが出来たのは極めて貴重な経験であったと語りました。こののち、同氏は英語を教えるため日本に来ることになります。普通の英会話講師に飽き足らなかった同氏は、自身の専門を活かして美術史や文学の講師として活躍。並行して日本の大学で博士号も取得しました。現在は、いろいろな私設講座を主宰する傍ら、長年の憧れであった「文人」のような生活が出来るよう日々精進しているそうです。パイル氏の講演は、米国地方都市(町)で育った少年がどのように広い世界へ目を向けることになるかを教えてくれる大変示唆に富んだものでした。同氏によると、昔ハッチンソンの目抜き通りは端から端までが見通せるほど短く、そこにあるのは食料品店、食堂、小さな映画館、銃器・貴金属店等だけだったそうです。今では郡内最大の都市に成長し、市庁舎、大学、美術館、空港、動物園まであるそうですが、ハッチンソンの発展の過程でカーネギー図書館(注:カーネギー氏は、ハッチンソンだけでなく、図書館設置を希望する全米 2500余の地方自治体に図書館を寄贈した。)や、宇宙科学博物館が全てではなかったにせよ、一役買っているであろうことは大変興味深い点です。米国のフィランソロピー(利他的社会貢献活動)のあり方についても考えさせられる講演でした。なお、米国カンザス州と聞くと「オズの魔法使い」を思い出す方も多いのではないでしょうか。パイル氏の講演も、竜巻に巻き上げられるドロシーの家のイラストとともに始まりました。楽しく示唆に富む講演をして下さったパイル氏、また積極的に質問やコメントを下さった来場者の皆様に御礼申し上げます。